呪術廻戦はストーリーも面白く、キャラクターも魅力的ですが、用語や技名が難しいということは難点ですよね。そこで今回は呪術廻戦の中でも謎めいた存在、呪胎九相図について解説していきます。
原作勢の中には「虎杖は呪胎九相図なのでは?」という疑惑も浮上しているので、そのあたりも解説していきます。
目次
呪胎九相図とは
呪胎九相図は御三家の一人である加茂憲倫によって生み出された存在。
明治のはじめ、加茂憲倫が身を置く寺に一人の女がやってきました。
その女は呪霊の子を宿す特異体質で、子の亡骸を抱えて、加茂憲倫のもとにやってきました。
加茂憲倫はその女に興味を持ち、彼女に九度懐妊、九度堕胎を繰り返しました。
そうして生み出された胎児が強力な呪力を持ち、やがて特級呪物「呪胎九相図」として扱われるようになりました。
呪胎九相図は厳重に保管されていましたが、京都交流会での混乱に乗じて、偽夏油らに強奪。
その後、人間に呪胎九相図を取り込ませ、受肉しました。
この時生まれたのが、脹相、壊相、血塗です。
虎杖と呪胎九相図の出会い
虎杖は八十八橋の調査にあたった際に、呪胎九相図の壊相、血塗と対峙しました。激戦の末、虎杖たちは壊相、血塗に勝利。
壊相、血塗はその戦いで息を引き取りました。
壊相、血塗の死をいち早く察知したのは、呪胎九相図の1番で、壊相、血塗の兄にあたる脹相。脹相は弟たちを殺した虎杖に恨みを持ち、復讐することを決意します。
そして二人は渋谷事変で対面し、死闘を繰り広げました。
脹相が扱う「赤血操術」に翻弄される虎杖は、とどめを刺される一歩手前まで追い詰められました。脹相が虎杖に復讐を果たそうとした瞬間、突如「存在しない記憶」という謎の幻覚に襲われました。
存在しない記憶では、呪胎九相図と虎杖は家族のように同じ食卓を囲んでおり、虎杖は脹相のことを「兄ちゃん」と呼んでいました。
その幻覚を見た脹相はわけがわからなくなり、その場から逃走。
虎杖は間一髪で助かりました。
考察
なぜ虎杖が弟なのか?
脹相は虎杖との戦闘中に存在しない記憶を見たことで、虎杖を弟として認識するようになりました。しかし呪胎九相図は明治の初期に特殊な状況下で生まれたので、シンプルに考えれば虎杖が弟であるというのはあり得ない事です。
とは言え、両者の関係に偽夏油が絡んでいると考えると、納得できることもあります。
偽夏油は他者の肉体を転々と渡り歩き、1000年近く生きながらえてきた人物です。そして偽夏油は過去には加茂憲倫の肉体を乗っ取っていたことが、脹相の証言で判明しました。つまり呪胎九相図を作ったのは、加茂憲倫本人ではなく、偽夏油だったと考えられます。
さらに偽夏油は過去に虎杖の出生に関わっていたことを示唆するような発言もしています。
それは渋谷事変で虎杖と対峙した際。
「我ながら流石というべきか、宿儺の器タフだね」と、自らの功績をたたえるような発言をしていました。
それだけではなく、虎杖の幼い頃の回想シーンでは、虎杖の母親と思われる女性の額に、偽夏油と同じく縫い目が存在していました。そのことから、偽夏油は虎杖の親であるという疑惑も浮上しています。
偽夏油が親であれば、脹相が虎杖のことを兄弟として認識していることも納得できます。
なぜ脹相は過去の記憶を取り戻したのか?
脹相は突然存在しない記憶を見て逃走し、その後偽夏油や虎杖たちと再会した際に、偽夏油と加茂憲倫が同一人物であることに気付きました。
しかし、脹相と偽夏油が対面したのは、これが初めてではありません。その前までは、普通に行動を共にしていました、
それにも関わらず、突然記憶を取り戻したというのも少し不思議な話ですよね。
考えられるのは脹相が受肉した際に、偽夏油に意図的に記憶を消されたということ。脹相を都合のいい駒として使うために、都合の悪い情報は隠蔽したとも考えられえます。
その記憶が、存在しない記憶を見たことで、蘇ったのではないでしょうか?
記憶喪失はショックを与えると治るともいわれているため、虎杖は自分の弟だったという存在しない記憶を見たことでショック状態となり、記憶を取り戻したと考えられます。
虎杖は呪胎九相図なのか?
虎杖は偽夏油により作られた存在ということは、虎杖も呪胎九相図なのか?と疑問に感じるかもしれません。呪胎九相図は全部で9つあるので、虎杖もその中に含まれていたと考えることもできます。
しかし個人的には、虎杖は呪胎九相図ではないと考えています。その根拠は、脹相が見た存在しない記憶にあります。存在しない記憶では、呪胎九相図と虎杖が食卓を囲んでいました。
注目してほしいのが、脹相、壊相、血塗以外の兄弟の数。テーブルの上には6つの呪胎九相図が並んでいます。
脹相、壊相、血塗、そして6つの兄弟。これで既に9つです。そのことから、虎杖は呪胎九相図の一人ではないと判断できます。
用語解説
赤血操術
御三家の一つである加茂家に伝わる、相伝の術式。自身の血液を操ることで戦う術で、血液を様々な形状に変化させることで多彩な技を繰り出す。
京都校の加茂憲紀も赤血操術の使い手である。
脹相がなぜ赤血操術を扱えるのかは、謎に包まれている。