伏黒甚爾は何者?息子に恵と名付けた理由

伏黒恵の父親であり、術師殺しと悪名高い伏黒甚爾。

彼は自分の子供の性別も分からない状態で「恵」と名付け、その後も親子らしい交流をすることなく、この世を去りました。

伏黒甚爾は、なぜ息子に「恵」と名付けたのか?今回は伏黒甚爾の人物像を紹介しつつ、「恵」と名付けた真意を考察していきます。

キャラクター紹介

伏黒甚爾

御三家の1つである禪院家の出身で、伏黒恵の実父。普段は交際相手の女性の家に転がり込んで暮らすプロのヒモ。お金が無くなったら暗殺業を行い、大金を稼いでいる。

最期は高専時代の五条悟に敗れ、死亡した。

呪力がゼロの男

人間は誰しも一定の呪力持って生まれますが、伏黒甚爾に限っては生まれつき呪力を全く持たずに生まれました。

その代わりに常人離れした超人的な身体能力を備えています。

彼のような体質は、天与呪縛(フィジカルギフテット)と言われています。

呪力を全く持っていないことから呪術師に勘づかれることなく近づけるため、暗殺業には向いていたようです。

高専時代の五条悟を背後から刺した経験もあり、その際も五条や近くにいた夏油傑に全く勘づかれることなく接近していました。

呪力は持っていないですが、戦闘能力は他の呪術師を凌駕するほど高く、一度は高専時代の五条悟を死の淵まで追い込みました。

彼の強さの秘訣は超人的な身体能力だけでなく、所有する呪具も影響しています。

伏黒甚爾は天逆鉾という特級呪具を所有しています。

これは発動中の術式を強制解除する効果を持っており、この力で五条悟の術式を無効化していました。

また、ものを格納できる呪霊も従えており、その呪霊を体内に取り込むことで、呪力を気取られることなく、呪具を持ち歩いていました。

ちなみに呪霊を取り込むことは猛毒を取り込むことと同じですが、伏黒甚爾の場合は天与呪縛により内臓を強化していたので問題なく過ごせていたとのことです。

呪力を全く持たないというだけでも規格外ですが、その能力も他の呪術師とは全く異なります。

呪力の持たない伏黒甚爾は、呪術師としての階級を与えられることはありませんでしたが、高専時代の五条や夏油と互角に戦えていたことから、1級相当の実力があったとも考えられます。

甚爾の生い立ち

伏黒甚爾はもともと禪院家の出身でした。

禪院家と言えば、才能をとにかく重視する一家です。禪院家に非ずんば呪術師に非ず。呪術師に非ずんば人に非ず。

といった言葉もあるほど、極端な思想を持っています。

そんな家系に呪力ゼロで生まれた甚爾は当然のことながら落伍者として扱われてきました。公式ファンブックの情報によると、小さなころから呪霊の群れに放たれるという嫌がらせも受けていたそうです。

そんな状況ですっかりグレてしまった甚爾ですが、恵の母親と出会い、丸くなったそうです。

甚爾は恵の母親と過ごしたことで、禪院家で受けた傷が少しずつ癒されていったのかもしれませんね。

しかし、そんな幸せな日々は長くは続かず…。

恵が生まれてすぐに、恵の母親は亡くなってしまいました。

その後は、以前のような荒れた生活に逆戻りしてしまいました。

自分も他人も尊ぶことのない生き方

伏黒甚爾は五条悟に敗北する直前「自尊心は捨てたろ、自分も他人も尊ぶことない、そういう生き方を選んだんだろうが」と語っていました。

そして、その言葉と共に恵の母親が描かれていました。

もしかしたら、甚爾は恵のママと出会ったことで、自分や他人を尊ぶ生き方ができるようになったのかもしれません。

しかし最愛の人を失ったことでその考えは一変。

甚爾は他人を愛すると失った時に苦しくなるということに、気付いたのではないでしょうか?

だからこそ、もう二度と傷つかなくて済むように、自分も他人も尊ぶことのない生き方を選んだと考えられます。

しかし、甚爾は五条に敗北する直前、恵のママと恵の姿を思い出しました。

一度は捨てたと思っていた感情は、やはり捨てきれてはいなかったのでしょう。

そして最期は五条悟に、自分の息子が禪院家に売られることを告げ、息子を託すことを決めました。

五条に託した理由は、この男であれば自分の息子を悪いようにはしないと直感的に感じたからではないでしょうか?

少なくとも、禪院家で育つよりはマシな生活ができると感じたのでしょう。

これは息子に幸せになってほしいと願う、親心からの行動なのかもしれませんね。

息子に恵と名付けた理由

伏黒恵に「恵」と名付けたのは、他でもない伏黒甚爾です。

甚爾は自分の子供の性別がわからない状態の時から「恵」と名付けました。

では、「恵」という名前には、どんな意味があるのでしょうか?

これまでの甚爾の生い立ちから推測すると、「息子には才能(術式)に恵まれて生まれてきてほしい」という想いが込められていると考えられます。

禪院家に生まれた甚爾は相伝の術式どころか、呪力も持たずに生まれてきました。

それが原因で、甚爾は幼少期から不遇な人生を歩んできました。

息子には自分のように恵まれない生き方をしてほしくない。

そんな想いから甚爾は我が子に「恵」と名付けたのではないでしょうか?

その名の通り、伏黒恵は相伝の術式を宿して生まれました。

それだけでなく、仲間にも、恩師にも恵まれた人生を歩んでいきました。

これは、甚爾の息子に対する願いが叶ったとも捉えられます。

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