ついにジャンプ本誌の143話で悠仁の両親と思われる人物が登場しました!
143話は内容が濃すぎです!
乙骨が本当に死刑執行人なのかそれとも芝居なのかが解決したと思ったら、悠仁の両親、死滅回遊の始まり、1話に詰め込まれた情報量が多すぎます!
悠仁の両親と思われる人物の登場は1コマ+2ページだけにも関わらず、想像力を掻き立てられました!!
そして、Twitterのトレンドにもなっていた、お兄ちゃん(脹相)どこいった!?
目次
143話1コマ+2ページ
「仁」と呼ぶ虎杖倭助に「なんですか父さん 彼女の話をするなら 帰りますよ」と言う仁は、倭助を父さんと呼んでいるので、仁は倭助の息子で間違いないと思います。
帰りますと言っているということは、一緒には住んでいないのでしょう。
「仁…オマエがどう生きようとオマエの勝手だ だがあの女だけはやめとけ 死ぬぞ」
「あの女」とは、倭助を「お義父さん」と呼び、額に傷があるおそらく悠仁の母親と思われる女性のことでしょう。
「悠仁の前で変な話はやめてください 案外覚えているそうですよ 赤ん坊の記憶」と言っていることから、赤ん坊は悠仁なのでしょう。赤ん坊悠仁も「?」も可愛い。
「オマエが子供を欲しがっていたことも 香織との間に それが叶わなかったことも知ってる だが香織が死んだのは」
香織との間にそれが叶わなかったと言っているので、悠仁は香織の子供でいということ、そして香織は亡くなっているのでしょう。
考察
この1コマ+2ページで考察したいことは2つあります。
一つは「あの女」の正体とは?
もう一つは加茂憲紀が意図的に宿儺の器を作ろうとしたのであれば、虎杖仁を父親に選んだ理由とは?ということです。
「あの女」の正体とは?
額に傷があることから、香織の身体を乗っ取った加茂憲倫、もしくは香織とは別人ではあるが中身が加茂憲倫の可能性が高いです。
ただ私が押したい説は、「あの女」=香織かはさておき、「あの女」=加茂憲倫ではないと思っており、呪霊の子を孕むことのできる女性がそんなにいるとも思えないという理由から、「あの女」=150年前の九相図たちの母親なのではないか説です!
加茂憲倫は反転術式も使えるということなので、仮死状態、もしくは脳みそだけ保存しておいて、九相図たちの母親を現代に蘇らせたのではないでしょうか?
加茂憲倫の額の傷は縛りであるため反転術式で治せないそうです。
「あの女」の額の傷は加茂憲倫や偽夏油の縫い目のような傷とは違うように見えるため、「あの女」=加茂憲倫ではないのであれば、傷に対する縛りは関係ないため反転術式で傷の治癒をしても問題ないと思われます。
九相図たちには3人の親がおり、母を孕ませた呪霊と、血を混ぜた加茂憲倫、そして母。
九相図に血を混ぜた加茂憲倫が悠仁の親だからではなく、同じ母親から産まれたというのであれば、脹相達と悠仁は間違いなく同腹の兄弟と言えるでしょう。
そして、悠仁の身体には術式が刻まれていないと五条先生が言っていたので、加茂憲倫が親でないのであれば、悠仁が九相図たちの使える赤血操術を使えないというのも納得できます。
虎杖仁(いたどりじん)を父親に選んだ理由とは?
顔が悠仁にそっくりなので、こちらは間違いなく悠仁の父親でしょう。
しかし、眼鏡をかけて悠仁の祖父である虎杖倭助を父さんと呼び、敬語を使っているため、知的な印象を受けます。同じ顔なのにここまで印象が違うとは。。。やはり髪の色はピンクなのでしょうか?
「あの女」が九相図たちの母親だとして、加茂憲倫が父親に選んだのか自分ではなく虎杖仁でなくてはならない理由はあったのでしょうか?
その考察をしていく上で気になったのが、倭助が「仁」と呼ぶ1コマ目ですが、最初読んだときには桜だと思っていました。
悠仁は3/20生まれなので、桜の季節だもんねっ。と思っていましたが、次のコマでは花瓶に挿さっていて葉っぱがついていたので、桜ではなくこれはイタドリなのでないかと思いました。
悠仁の出生に関わる重要な局面で、わざわざイタドリを持ってくるには理由があるのではないでしょうか?
イタドリは平安時代から使われている薬草で「痛み取り」が訛ってイタドリになったそうです。
平安時代の医術を行う人たちを医師(くすし)と呼んでおり、医術と呪術で病を治していたそうです。
ここでいう呪術とは、神や仏に祈りを捧げることで、病気を患った人たちの体調を快復させ、この呪術を行なっていたのが「験者(けんざ)」と「陰陽師」です。
呪術廻戦には五芒星が出てきたり、加茂家が陰陽師の家系だったりと、陰陽師に関わることが多く出てきています。
上記を踏まえ、虎杖という苗字は職業姓で平安時代からの呪術を使う医者の一族だったのではないでしょうか?
そこで注目したいのが実在した平安時代の医師、菅原 梶成(すがわら の かじなり)という人物です。
菅原 梶成はWikipediaによると、「平安時代前期の医師。姓は宿禰のち朝臣。官位は外従五位下・侍医」だそうです。
そして宿禰とは、「宿禰(スクネ、足尼、足禰、少名、宿儺)は、古代日本における称号の一つ。大和朝廷初期(3世紀~5世紀ごろ)では武人や行政官を表す称号としてもちいられていた。」そうで、気になる言葉が出てきてしまいましたね。
虎杖家とは加茂憲倫の正体の子孫、もしくは宿儺の子孫なのではないでしょうか?
そう思って143話を見返すと、父親に対して丁寧な口調。眼鏡をかけた知的な顔。
虎杖仁はお医者さんなのではないかと思えてきます。
そのため、宿儺の器の父親として虎杖仁は選ばれたのではないか?というのが、私の妄想という名の考察です。
追伸
仁さん、産まれたばかりの首の座っていない赤ちゃんを立て抱きにしてはいけません。。。