剣心のキャラクターになった実在人物~ルックスは剣心、最期は志々雄?~

るろうに剣心の主要キャラ達は、実在した人物をモデルにしているのはファンの間で有名です。

しかし、この時代ってドラマやマンガになるぐらいの激動の時代で、色んな出来事があるので複雑…。

そこで、明治時代に何があったのか細かい事を知らなくても分かるぐらい、剣心のモデルになった実在人物を紹介します。

緋村剣心のモデルは河上彦斎(かわかみげんさい)で、この方です。

河上の幼い頃

熊本出身の藩士で、幕末の四大人斬りとして恐れられてきた男が、河上彦斎です。

元々は下級藩士であり、お茶の手配や掃除などの雑用をこなしていました。

出世後は儒学や学者を師とし、民法などを学びます。河上は人斬りでは珍しく教養学部ある人でしたが、それはこの時代に様々な教えを吸収していったからでしょう。

そして、この時代に河上は尊皇攘夷の思想を持つようになります。

尊皇攘夷とは

はい、出ました。訳が分からなくなるワードの「尊皇攘夷」w。

学校で習ったけど忘れちゃった人もいるでしょう。

尊皇攘夷とは、天皇を尊び外国人を排除する働きです。

また、江戸時代は天皇に変わって幕府が政治を行っていたので、幕府を排除して天皇が政治を行うべきとの考え方です。

ようは、敵は幕府と外国人ですね。

河村は、尊皇攘夷の中でも攻撃して変えるべしと好戦的な考え方でした。

〈河村が人斬りになるまで〉

河村は30歳の時に藩選抜の親兵となり、幹部の尊皇攘夷軍使となります。

この時、民法を教えてくれた宮部鼎蔵と河上は同格の幹部にまで出世しています。

河上は真面目な性格です。

掃除やお茶の仕度の合間に勉学と武芸を身に付けるなどをしていたので、幹部にまで出世できたのだと思います。

人斬りとして暗に活躍

この幹部になってからの時期の河上が人斬りの時期で、京都でたくさん斬ったと言われています。

しかし、誰を斬ったのかは明らかになっていません。

剣心が人斬りの時にあっさりと人を斬っていたように、河上も闇に紛れて活躍していたのでしょう。

河上は幕府の役人について話し合っていた時に、ふらっと外に出て役人の首を持ち帰ったとの話もあります。

京都から長州へ

京で暗躍していた河上ですが、八月十八日の政変が起こると長州に追い込まれます。

はい…。八月十八日の政変!

また出たややこしいワード(笑)

難しいのでさらっと聞き流して構わないのですが、ようはクーデターです。

薩摩藩は開国したいけど、長州藩は外国なんて追い出しちまえという考え方が激突しました。

河上は尊皇攘夷で外国を追い出す派なので、長州藩側の考え方ですよね。

長州藩や河上は京都から追い出され、長州に追いやられます。

その6年後、有名な池田屋事件が起こりました。

新撰組により、師だった宮部鼎蔵が追い詰められて自害します。

新撰組は京都の町を守る治安維持部隊で、るろうに剣心なら斎藤が所属していた部隊です。

幕府側の人間で、河上とは敵ですね。

宮部鼎蔵が自害したのを聞き、河上は京都へ行きます。

人斬り彦斎と呼ばれるようになる

京都へ戻った河上は、そこで佐久間像山を白昼堂々と斬りつけました。

誰?像山(笑)

はい、像山は兵学者でありながら思想家で、洋学の第一人者です。

彼の門下生には勝海舟や吉田松陰、坂本竜馬など名だたる有名人がいるぐらい超すごい人なんです。

ただ、洋学の第一人者なので開国派で、河村の敵です。

(実際には像山は、開国して外国と対抗する考えでした。なので、河上と考えは似ています。)

像山が神聖な京都で西洋かぶれの馬の鞍を使っていたと河村が腹を立て、河村は像山を斬ってしまいます。

衝動的に斬ったとも言われますし、待ち伏せして斬ったとも言われます。

これをきっかけに河上は暗殺から足を洗いますが、人斬りとして有名になるのでした。

長州から熊本へ

河上は暗殺を辞めた後も長州藩と共に闘いに挑み、熊本藩へ帰ります。

しかし熊本藩は幕府派であり、天皇を尊ぶ河上を投獄します。

その後、幕府がついに倒れて熊本藩大ピンチ。

河上の天皇派が正しいじゃん!となり、藩は河上を役人にしました。

河上はイヤイヤでしたが、朝廷と薩摩&長州に顔が利く人がいないという事で、河上は藩のために働きます。

斬首される

朝廷は河上を役職に付けようとしましたが、考え方が変わった朝廷に河上は嫌気がさしていました。

河上は外国を排除したいのに、朝廷は外国と仲良くしようとする道を選んだからです。

朝廷も河上を危険人物と見なし、国家に背いた罪人を匿った罪で投獄させます。

そして、死刑に値しない罪なのに河上を斬首し、河上は37歳の人生を閉じました。

なんだか、最後は新政府に裏切られた志々雄みたいな終わり方ですよね。

河上も剣心も、激動の時代に意思を貫いた人物だったのです。

河上は150センチほどの小柄な男性で、色も白くて決して強そうな人ではなかったそうです。

このルックスは剣心もそうですよね。

また、妻や子供には優しかったとか。

こういう穏やかな面を知ると、剣心と河上が重なって見えます。

そして、剣心に長生きして欲しいと願ってしまいます。

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